特別支援教育

特別支援教育の課題「対象者を見つける」こと

発達障害が疑われる子どもの割合は、
通常学校に在籍する児童生徒のうち、
6.5%」にのぼるという調査結果が平成24年に示されました。

(参考資料:通常の学級に在籍する発達障害の可能性のある特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査結果についてhttp://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/material/__icsFiles/afieldfile/2012/12/10/1328729_01.pdf
平成24年12月5日)

発表された当時、
教育関係者にとても大きなインパクトを残しました。

文科省はこのデータに関して

本調査における「Ⅰ.児童生徒の困難の状況」については、担任教員が記入し、特別支援教育コーディネーターまたは教頭(副校長)による確認を経て提出した回答に基づくもので、発達障害の専門家チームによる判断や、医師による診断によるものではない。従って、本調査の結果は、発達障害のある児童生徒数の割合を示すものではなく、発達障害の可能性のある特別な教育的支援を必要とする児童生徒の割合を示す

としています。
つまり、医師の判断ではないということは念頭に置く必要のあるデータになります。

いずれにしても通常学級で過ごすうえで、
何かしらの困難があると考えられる子供の数は少なくないことが窺えます。

医療の発達とともに、
生涯の発見はどんどん早期化されています。

しかしそれが、
特別支援教育対象児童・生徒の早期発見のメリットに繋がっていません。

教育界、また卒業後の社会において、
まだまだ障害者の生きづらさが残っています。

この記事では、
特別支援教育の発展と医療の発展のミスマッチについて、
主に教育の分野から考察していきます。

特別支援教育の対象者を見つける難しさ

上記のように教職員の主観によって、
教育上の困難の有無が区別されている現状があります。。

それは「医学上は発達障害と診断されない」児童生徒が含まれている可能性を示唆しています。

これには発達障害があまりに広範囲かつ、
特定の尺度で測りきれないことが関係しています。

また障害の可能性が考えられても、
教師側には保護者に知能検査の受診を勧めることはできないことも関係しています。

子供の障害を「認められない」保護者

保護者が障害が無いと信じているが故に、
医師の診察を受けず、
発達障害と診断を下されていない子供は確実にいます。

それでも教員に医学的な知識はありません

特定の「病気の有無について発言する権利」を有していないことは明らかです。

その中でも折を見て保護者に対して、
日頃の生活で抱えている困難については伝えます。

そこから先は保護者の対応になりますが、
思春期を迎えた子供の保護者が、
急に知能検査を受けに行くことは経験上ほぼありません。

「インクルーシブ教育」「共生社会」の実現

現在では障害を持っていても、
健常者と同じような環境で過ごすことが好ましいとされています。

2012年頃から学校現場では、
インクルーシブ教育」が推進され始めています。

インクルーシブ教育とは、
障害の有無にかかわらず適切な配慮を受けたうえで、
通常学級で学ぶことのできる環境を目指した理念とプロセスのことです。

また、社会レベルでも「共生社会」の呼び声の基、
障害者の積極的な社会進出が可能な社会の形成が進められています。

このように教育現場から社会に至るまで、
障害者の地位向上・権利の確保が求められる時代になってきています。

それなのに、発達障害の疑いがある子供が、
発達障害と診断されていないのはなぜなのでしょうか?

1つには、教員側の思い込みがあり得ます。
教員は医療関係者ではないので、
専門的な知識はもっていません。

その上で先の文科省のアンケートに、
学校生活上著しい困難が生じている児童生徒をピックアップしています。

医者による診断を実施した場合、
異なった数値が出る可能性は否定できません。

2つ目が保護者の対応の結果です。
医学的な結果は異なるかもしれませんが、
そもそも受診していなければ発達障害か否か分かりません。

学校側に受診を強制する権利は無いので、
保護者の判断に委ねられることになります。

これだけ障害者に対する社会の関わり方が変わってきているのに、検査を受けないのは何故でしょうか?

そこには実際の教育現場における、
対応の限界が存在しています。

特別な配慮が必要な子供への対応

記事の最初に取り上げたアンケートは、
通常学級で過ごしているものの、
困難さが表れている子供の存在を示していました。

一方でインクルーシブ教育の理念の下で
本人の意思次第で通常学級で生活することが目指されています。

加えて単純に通常学級にいるだけでなく、
必要な配慮を受けることで、
学校生活の質が保たれることが求められています。

しかし実態はどうなっているのでしょうか?
先ほどのアンケートの中に、
学校でどのような支援を行っているのかに関する項目があります。

質問項目に対して担任教員が回答した内容から、知的発達に遅れはないものの学習面又は行動面で著しい困難を示すとされた児童生徒(推定値6.5%)の受けている支援の状況の概観
推定値(95%信頼区間)
現在、いずれかの支援がなされている
55.1%
(52.8%~57.4%)
過去、いずれかの支援がなされていた
3.1%
(2.5%~3.9%)
いずれの支援もなされていない
38.6%
(36.4%~40.9%)
不明
3.1%
(2.1%~4.7%)

設問「「個別の指導計画」を作成していますか」に対する回答
推定値(95%信頼区間)
作成している
43.2%
(38.0%~48.5%)
現在はないが過去に作成していた
2.8%
(1.7%~4.6%)
作成していない
54.0%
(48.7%~59.2%)

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/material/__icsFiles/afieldfile/2012/12/10/1328729_01.pdf

平成24年12月5日

学習面・行動面でおいて、
著しい困難があると思われるのに、
支援を受けていない子供が4割弱存在しています。

理想は共生できる環境の実現ですが、
実態は障害が無いなら特別な配慮も要らないという対応になっています。

これには通常学級において、
特定の子供に個別で配慮することには限界があります。

40人前後のクラスで、
完璧な個別対応をするには人手が足りません。

ここに障害をもっているという医学的な判断が加わると、特別支援学級や特別支援学校での生活が勧められる怖さもあるのではないでしょうか。

現実には障害が有るか無いか白黒付けないほうが、
少なくとも今より環境が悪くなることは無いという発想が生まれてもおかしくありません。




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「特定の」障害者にとっての共生社会

障害者の活躍の幅は確実に広がっています。
国会議員になることもできる環境ができてきました。

一方で、障害を確定させることが、
生きやすさに繋がっていない場合も多くあります。

特に学習上の障害や協調性などの障害は、
社会的な活躍の妨げとなっていることも多くあります。

例えば、車いすであっても友人や教員の助けによって、通常学級で過ごすことは比較的容易です。

それに対して知的障害の場合は簡単ではありません
他の障害よりも「共生」できる範囲が狭いのが現状です。

現在の社会の流れでは、
障害者の中に「共生できる人」と「共生できない人」が生まれてきています

こうなってくると、
障害をもっているという確定診断が無いほうが、
苦労しつつも「社会の一員」である実感を得られることに繋がっていくことになるでしょう。

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