教育学部生必読の書「エミール」
「エミール」は教育に携わる人なら、大学生のうちから耳にしたことのある1冊と言えるでしょう。
J・J・ルソーによって1700年代に執筆された教育書です。
教育学系の授業では頻繁に扱われるものであり、教員採用試験の問題としても出題されることのある著名な書と言えます。
このように、何百年にも渡って読まれている教育書は決して多くありません。
特に教育は、流行り廃りや政治的な影響を受けやすい領域です。
検閲の対象にもなりやすく、歴史の転換点では弾圧される教育者も出ます。
その中で、現代でも読まれるづける「エミール」には、どれだけの価値があるのでしょうか。
変動の激しい現代において、教育の歴史を学ぶことの意味について再考していきたいと思います。
エミールってどんな内容の本なの?
そもそもエミールはどんな内容が書かれている本なのでしょうか。
エミールとはルソーの空想上の子供です。
ルソーが「自分が子供を育てるならこのように育てる」という教育方針について書いた本と言えます。
幼少期からの成長について事細かに日常生活の中で、教育を施している描写が描かれています。
ルソーの教育哲学は「消極教育」という思想から成り立っています。
消極教育とは人間(教師・大人)が子供に対して、教育的な施しを極力しないように試みる考えです。
現在、学校で行われている授業形式とは真逆とも言える考えになります。
子供は生まれながらにして「善」の資質を備えています。
そして、大人が介入することによって「善」から「悪」に転移するという「典型的な性善説」基づいた思想です。
ルソーは学校での教育も受けさせず、生活に関しても文明の力を借りることを極力避けた生活をエミールに送らせます。
スポンサーリンク
エミールが現代教育に与える影響
エミールに書かれている教育は、現代教育とは程遠い位置に属していることが分かりました。
それではなぜ、エミールは未だに教育界で取り扱われている一冊なのでしょうか?
一つには、成功・失敗事例の積み重ね(知識の蓄積)が必要であるという点が挙げられます。
基本的には、歴史について学ぶ意味と同様のことが言えるでしょう。
ヴァイツゼッカー元ドイツ大統領の名言が歴史の意義を表しています。
ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならない
ルソーは女性や障害児に対する教育に熱心ではありませんでした。
ルソーの時代にはそれは極自然なことであり、国や地域によっては現代においても旧態依然として残っている考え方です。
教育基本法において、「男女の平等」は明記されています。
加えて「ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならない」ことから、障害の有無が教育の機会を奪ってしまうことは教育の理念に反すると言えます。
これらをバラバラで考えることはできません。
過去を学ばなければ、男女の不平等、教育の機会の不平等に逆行してしまうかもしれません。
教育史は「正しい教育」を学ぶこと以上に「間違った教育」を知るうえで必要不可欠です。
「正しい教育」が無いから学び・考える
教育は正解が無い分野と言えます。
誰でも忌憚のない意見を発信することができる分野であり、成長の芽が残っている分野です。
その特性から、教育学部は文学部等と並び「不要な学問である」と言われることもあります。
教員免許取得のハードルを上げることは、教育の質の担保のためには不可欠な段階に来ていると言えるでしょう。
教育制度に関しての専門的な知識は無くてはなりません。
これからの教育を考える上で、過去の教育について知ることは絶対条件になります。