人間関係

レビュー㊷:「愛するということ」【書評】

この記事では「愛」について書かれた、
愛するということ」をご紹介します。

あなたは「愛」という言葉に、
どんな印象をもっていますか?

実は一言で愛と言っても、
家族に対する愛や異性への愛など、
いくつか種類があります。

それぞれの愛について知ることによって、
「愛する」ということがどういうことなのか知ることができます。

その結果、長続きする愛を手に入れ、
良好な人間関係を築くことができるかもしれません。

人を愛するのに必要なこと

誰かを好きになる時に、
「恋に落ちる」という表現がよく使われますよね。

本著の作者であるフロムは、
恋に「落ちる」のでは、恋を「続ける」ことはできないと指摘します。

恋に「落ちる」段階と、
そこで「とどまっている」状態を混同していることによって、
愛が長続きしなくなってしまう。

フロムはそもそも人を愛するのには、
自転車に乗る方法を学ぶように、
技術を習得する際に学ばなくてはいけない段階があると考えています。

愛するということ」では、
愛に関する正しい知識と愛するための技術について、
社会の変容とともに詳しく書かれています。

社会と愛の変容

あなたはなぜ人に愛されたいと思いますか?

愛を求める理由は、
意外なことに社会的な要因によって変化していきます。

現代社会は資本主義社会が拡大し、
いかに効率よく利益をあげるかの競争を繰り返す日々になっています。

しかもこの社会の特徴は、
商品だけが効率化されるのではなく、
自体も効率化・機械化されるようになってきているところにあります。

フロムは、現代社会が求める人間を以下のように描写しています。

大人数で円滑に協力し合う人間、
飽くことなく消費したがる人間、
好みが標準化されていて、ほかから影響を受けやすく、
その行動を予測しやすい人間である。

₍中略)

命令にはすすんで従い、
期待には沿うように行動し、
摩擦を起こすことなく社会という機会に自分をすすんではめこむような人間である。

簡単に表すと・・・
同調圧力に従って₍屈して)くれて、集団の一部として動き続けてくれる人間ということになります。

また、このような社会で孤独を逃れるには、
集団の一部として機能することが求められます。

自我を消して全体に同調することで、
安心感を感じられ、社会から愛情を受け取ることが可能になります。





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「教育」と「洗脳」

愛の対象は異性だけではありません。
家族への愛、とりわけ子供への愛も生活の中で頻繁に見られます。

子供への愛情は無条件で無限大のように思えますが、現実的には子供への愛が歪んだ形で現れることがあります。

例えば過度なしつけは、適切愛の形である「教育」を超えて「洗脳」へと変わります。

フロムはこのような状況に陥る理由を、
以下のように記述しています。

子どもの人生において重要な役割を演じる人物が、
そうした可能性にたいして信念をもっているかということである。

その信念があるかどうかが、
教育と洗脳の違いである。

教育とは、
子どもがその可能性を実現してゆくのを助けることである。

本来は子供の可能性を信じることが教育であるのに、いつの間にか子供の進む道を決めてしまうことが教育になってしまうことがあります。

これは両親が子供に対する愛情だけでなく、
教育現場においても起こりやすい現象です。

子供を愛することを妨げるもの

子供への愛が、ときに誤った方向に行くことがあるという話を取り上げました。

それではなぜ、
そのような間違いが起こってしまうのでしょうか?

フロムは「投射」という現象が大きくかかわっていることを示唆します。

例として自分の人生で新たな希望が見いだせない場合、
自分の子供にその期待を投射して叶えさせようとすることがあります。

一見すると自分の失敗を繰り返さないようにしつけているようですが、時代や環境が変化しているのに自分の価値観を子供に押し付けているにすぎません。

いかに生きるかという問題は、本人によってしか解決できず、身がわりを使うわけにはゆかない
という表現は、まさに教育の本質をとらえた言葉でしょう。

過度な価値観の押しつけは、
現代では「ひきこもり」につながることもありえます。
家族とひきこもりに関する本は以下の記事で紹介しています。
【関連記事】>>> レビュー㊶:「家族幻想 「ひきこもり」から問う」【書評】

「愛するということ」のまとめ

この記事では、社会心理学者のフロムによって書かれた、
愛するということ」を紹介してきました。

一般に「愛する」という行為は、
生まれながらに身につけたものであると考えられています。

この考えを真っ向から否定したのがフロムです。

愛するためには知識と技術が必要で、
それは自ら学ぼうとしなければ習得できないと主張します。

また愛情には歪みが生じることがあり、
歪んだ愛は相手のためではなく、自分のために使われます。

とりわけ教育における愛情は、
子供の可能性を信じることではなく、
教育者の信念を押し付ける結果になることが往々にして起こります。

このような「愛の暴走」をしないためにも、
愛に関する知識は積極的に取るほうが賢明なのかもしれません。

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