この記事では、
失敗したり悪いことをしたりしたときに付き物の
「反省」について書かれた1冊をご紹介します。
もし、あなたが大きな失敗をして、
相手に迷惑をかけたとしたらどうしますか?
例えば謝罪をしたり弁償をしたりと、
「いかに反省しているか」を相手に示すのではないでしょうか。
反対に相手から被害を受けたとして、
どうしたら許すことができるでしょうか?
実は相手に対して反省を促したり、
ましてや反省文を書かせたりすることは、
全く役に立たないかもしれません。
「反省させると犯罪者になります」では、
反省を強制することの危険性について書かれています。
この本を読むと、
本当に心からの反省を促すには何が必要なのか。
そのヒントが見えてきます。
「反省」について考えさせられる一冊
「悪いことをしたら反省するのは当然だ!」
多くの人にとって、「悪いと思っている=反省している」という方程式が成り立つことかと思います。
一方で言葉では反省しているといっているのに、何度も同じ過ちを犯してしまう人がいることも事実です。
そういう人は反省していないのでしょうか?
犯罪行為までいかなくとも、つい怒ってしまって後から後悔してしまうことはありませんか?
それも一度や二度ではなくて・・・。
これは私たちが本当は後悔していないからなのでしょうか。
今回ご紹介させていただく「反省させると犯罪者になります (新潮新書)」は反省するために必要な事について改めて考えさせてくれる一冊だと思いました。
反省文では反省できない
反省している気持ちを表すものとして真っ先に浮かぶのが、反省文かと思います。
読んで字のごとく、いかに反省しているかを表現するために多くの学校で使われている方法です。
作者の岡本茂樹は反省文について真っ向から反対しています。
反省文はどれも同じような内容が書かれているからです。
自分はなんて酷いことをしてしまったのか。
どれだけ多くの人の期待を裏切ってしまったのか。
被害者にいかにつらい思いをさせてしまったか。
どの反省文でもこれらのことについて書かれています。
そしてその理由はたった一つであって、書かせる側が「そう書くことを期待しているから」です。
加害者の気持ちではなく、体裁の良いことを書かせているうちは反省文はパフォーマンスにしかなりません。
問題行動は加害者のサイン
岡本は問題行動が起きた時にこそ、加害者の声に耳を傾けることを提唱しています。
問題行動の裏には加害者の心の声が隠れています。
加害者が本当に反省するためには、加害者の心の声を表面化させることが大切だと考えています。
この点は非常に新しい考え方だと思いました。
被害者の気持ちになって考えることで、犯罪やいじめを無くそうという発想がほとんどです。
一方でそのような教育でいじめが無くせていないのも事実です。
加害者の声を聞くということは被害者感情という点から反対が多いかもしれません。
しかし、加害者が更生しこれ以上被害者を生まないためには必要な考え方かもしれません。
痛みの世代間連鎖
作者は問題行動を「抑圧の爆発」と考えています。
作者が多くの犯罪者と接して分かったこととして「幼少期に問題を抱えている」ことを挙げています。
幼少期に大切にされなかった経験が犯罪などの問題行動に向かわせます。
そして、犯罪を起こさなかったとしても虐待やネグレクトを受けていた人は、自分の子に同じことをする可能性がある。
岡本はこれを「世代間連鎖する家族の問題」と捉えています。
もちろん犯罪者全てを一様に考えることはできません。
ですが、「大切にされなかった人は、他人を大切にできない」という作者の考えには耳を傾けるべきだと思います。
加害者矯正と被害者感情は区別して!
被害者の傷が少しでも癒えるように配慮することは当然のことです。
加害者が罰せられるべきであり、被害者は救済されるべきであることは間違いありません。
一方で加害者が表面上だけ反省し、再び問題行動や犯罪を犯しては被害者が浮かばれません。
そして加害者の心からの反省には、加害者理解の視点も欠かせないように思います。
加害者が本当に心から反省していたら、自分の犯したことを胸に刻みながら生き続けることは相当に辛いはずです。
ですが、そのような痛みと共に生き続けることが本当の罰であって、唯一の被害者への償いであると思います。
同時に加害者が社会に復帰し、社会の一構成員として過ごすことができる環境を整えることも必要であると思います。
「悪いことをしたのだから救ってやる必要は無い!」では何度でも再犯を起こしてしまいます。
日本にスラム街のようなものが生まれてしまうかもしれません。
小さな問題行動に気付ける社会に
厳罰化だけで犯罪をなくすことはできません。
幼少期の問題行動から無くしていくことが大切です。
そのためには周囲の大人たちが協力し合い、辛い思いをしている子供を減らしていく必要があります。
本書では「反省文」という学校のありふれた光景と、刑務所での「矯正プログラム」という普段目にすることのない光景が描かれています。
改めて反省するということ、反省させるということの難しさについて、必要性について再考してみたいと思いました。